モテずに死ねるかっ!!

-Can you die without attracting her?-

甘えの背景に見える胎内回帰願望

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photo by The Jordan Collective

f:id:t-dicek:20140920092713p:plain「甘え」の心理が恋愛にもたらす影響

恋愛関係に入ると、以前ならば特に気にならなかった言葉や態度でも、
どうしても感情的に反発してしまったりするため、ぶつかり合うことが次第に多くなります。
例えば、せっかく楽しみにしていたデートの前日に電話が入り、
「仕事がたまっちゃって、めちゃくちゃ忙しいから、明日出かけてくるのは厳しいんだ」と貴方から言われた。

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「えーっ!楽しみにしていたのに・・・
 でもしょうがない、がんばってね。」と答えたとします。
平静を装っていても、受話器を置いたとたん、
空虚感が押し寄せると同時に、とても腹立たしい思いが込みあげてきます。


「出かけるのは無理としても、ちょっとくらい会う時間を作ってくれたいいじゃない。」
「一日中仕事をすると言っても、食事ぐらいはするでしょうし、
 言うてくれれば食事を作りに行ってあげるのに。」
という思いがしばらくくすぶり続け、何も手につかなかったりします。


しかし、それなら、なぜ自分から言わなかったのかというところに問題があります。
仕事の邪魔にならないように、彼の家の近くの公園で一時間ばかり散歩しながらおしゃべりするとか、
お弁当を届けに行くから昼食時だけ一緒に提案をすればよかったのかもしれません。


それなのに、そんな思いはおくびにも出さずに、あっさりとした受け答えをして、
後で腹が立ってきたり、会いたくてたまらない気持ちを持て余したりするのです。
彼も彼で何とか会いたいという気持ちを抱えつつ、自分の都合でデートを断った上に、
少しの時間会っておしゃべりするために近くまで来てほしいなどと身勝手なことは言えない、
という心理状態であったかもしれません。


双方が同じような思いでありながら、
ともに口に出さずに相手が言ってくれるのを期待するばかりだったので、
すれ違いが生じてしまったのです。

f:id:t-dicek:20140920092713p:plain「甘え」の背後にある受け身的なもの

自分の要求を口に出して伝えることをせずに、
相手がそれを察して動いてくれるのをひたすら待つという姿勢は、
まさに甘えの表れと言えます。
この甘えは、相手との一体感に基づく心理です。


一体感を前提として相手に期待する態度は、非常に受け身的なものです。
「相手と自分は一体である」⇒
「こちらから改めて口にしなくても、
 相手は当然こちらの気持ちを察してくれるはずだ、いや察してくれるべきだ。」というように、
ただひたすら相手の好意的態度を、あるいはこちらの気持ちを配慮した行動を、
期待するといった心理過程が甘えの背後にあります。


したがって、甘えというのはとても身勝手な心理と言ってもいいでしょう。
相手はこちらの気持ちを察して行動すべきであると考えているので、
こちらの気持ちを察して行動すべきであると考えているので、
こちらの期待に応えてくれないようなときには、
すねたり、ひがんだり、怒ったりといった態度を取ることになります。


また、甘えが徹底的に通じない相手の場合には、
愛情が恨みの感情に転化することにもなりかねません。


本来、別々の人間同士が一体であるなどということは、あり得ないことです。
相手が常にこちらの立場に立って考えてくれるべきだ、
黙っていてもこちらの気持ちを察して上手く取り計らってくれるのが当然だ、
などというのは、きわめて自分勝手な論理です。


とはいえ、日本の文化のなかでは、
察する、察してもらうということは、人間関係の基本となっています。
はっきり口に出さなければ分からないことが少なくないのが現実であっても、
あからさま自己主張は嫌われ、
相手がいつか察してくれるはずだという望みを持って黙って耐える姿勢こそが美しいとされます。


このような甘えを基本とする人間関係の深層にあるのは、
先でもふれた幻想的な一体感です。
他人と一体であるはずないのですが、その個別性を認めたくないのです。
日本語にあいまいな言葉多いのもそのためです。


自分たちの気持ちは完全に通じ合っているという一体感の幻想を壊さないために、
自分の重いや考えをはっきり表明しない方がよいのです。
うっかり表明したために、双方の感じ方や考え方の違いが浮き彫りになってしまっては、
せっかく築きあげた一体感の幻想が壊れてしまいます。
論点をはっきりさせるよりも、
一体感の幻想を壊さないように双方の察し合い頼る方が、日本の文化の中ではうまくいくのです。


それでは、このような幻想的一体感にすがる心理、
すなわち甘えの心理は、どのようにして生まれるものなのでしょうか。




f:id:t-dicek:20140920092713p:plain相手との一体感をなぜそれほど求めるのか

生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ自分と他者の区別がつきません。
もちろん、自分と母親との区別もありません。
お腹がすいたと泣けば、自然にお乳が出てきますし
、おむつが湿って気持ち割ると泣けば、自然にサラッと乾いたものに替えられます。
他人である母親が自分のためにやってくれるという意識はまだありません。


しかし、いつまでもそのような自他未分化の
心地よい状態にとどまることは許されません。
空腹を我慢しなければならないこともあれば、
寂しくて泣いても誰も来てくれないこともあるのが現実です。

そうした挫折体験の積み重ねの中で、
乳児は自分と母親が別々の存在であることに気付くとともに、
母親が自分にとって欠くことのできない重要な存在であることにも気づくのです。


このような段階に達して、はじめて「甘え」というものが見られるようになります。
母親が自分と別の存在ならば、自分から離れていってしまうこともあり得ます。
しかし、そんなことを想像するだけでもとてもつらいことです。
できることなら、いつまでも繋がっていたいと考えるようになり、
分離の事実を否認することになります。


つまり、自分が孤立することからくる不安や寂しさ、頼りなさを振り払えるために、
一体感の幻想にすがりつき、
その結果、すでに失われた自他未分化の状態に戻りたいという永遠に満たされない願望が生じるのです。


こちらの甘えが受け入れられたとき、
人は一体感の幻想を強化することができます。
誰もが胎内回帰願望を持つとするなら、
人は一体感の幻想を感じさせてくれる人、
言い換えれば、こちらの甘えを受け入れてくれ、
こちらにも甘えてくれる人にひかれるということになります。


プラトンにおいても、愛は、失われた半身を探し、
二つに切断される以前の完全な状態を取り戻したいという衝撃としてとらえられています。
精神的分析にみても同様のことが言えそうです。


人はひとたびにこの世に生れ出たからには、
胎内に戻ることなどできまません。
一体感を母親に求めても、友人に求めても、
それはあくまで幻想にすぎないのです。
何度相手を替えてみても、必ず挫折に終わります。
しかし、永遠に満たされ得ない願望であるがゆえに、
永遠に人を駆り立てるのではないでしょうか。


ところで、甘えの心理が日本人のあらゆる人間関係の基本となっていると言いましたが、
欧米の文化においては、そのようなものは恋人同士や夫婦の間にしか許されません。
というより、日本的な感覚からすれば、欧米ではどんな親密な間柄であっても甘えは許されないのです。


先にも触れましたが、我が国においては、
胎内回帰願望も甘えもそれほど否定すべきものと考えられてはいません。
むしろ、お互いのそれを満たし合うことが潤滑油となって、
人間関係や仕事がうまくいくことも多いのです。